1995-02-07 第132回国会 衆議院 地方行政委員会 第3号
○吉田(公)委員 地震が発生いたしましたのが五時四十六分ということでございますが、その後現地の対応等、報道機関の対応等あるいは神戸の気象台から大阪気象台への連絡不通等がございまして若干対応がおくれたのではないか、まずその段階で報告がおくれていたのではないか、そう思っているわけでありますが、気象台につきましては運輸省の所管でありますから、そのことについては触れませんけれども、大臣はまずその大災害であるという
○吉田(公)委員 地震が発生いたしましたのが五時四十六分ということでございますが、その後現地の対応等、報道機関の対応等あるいは神戸の気象台から大阪気象台への連絡不通等がございまして若干対応がおくれたのではないか、まずその段階で報告がおくれていたのではないか、そう思っているわけでありますが、気象台につきましては運輸省の所管でありますから、そのことについては触れませんけれども、大臣はまずその大災害であるという
運輸省におきましても、午前七時、第五管区の現地本部、大阪気象台の本部、さらには九時には運輸局の局長を長とする対策本部を実施をいたしまして、当初から救援活動に主体を置いた活動を展開をいたしてまいりました。
そうしますと、あなたがいまおっしゃいました、せめて現在のレーダー要員体制というものを五カ年計画の中にずっと進めていき、まだ乏しいし、多くの要員がほしいけれども、このものは何とか確保していきたいということと、長官自身がおやりになっているこの大阪気象台において現在起きつつある問題とは相反することになりはしませんか。
そのときに、先ほど御指摘ございましたように、大阪気象台は鉄塔が倒れまして、この鉄塔が運悪く観測の塔の上に倒れたために、最大風速は瞬間六十メートルぐらいであろうというところで観測が終わっているわけであります。
大阪気象台員が十二月十五日に調査をした結果——これは宝物に対する影響の調査ではございませんけれども、空気中に含む塵埃の分量についての調査をした答えを見てみますと、やはり北側の道路の塵埃が日増しに多くなってきておると発表しております。ところが北側の道路にはお触れにならないで、問題もない東側道路だがという、常に弁解に弁解を重ねていくという態度がどうしても解せない。
しかしそれなくて、一昨年でございましたか、上ったときに大阪気象台の大谷台長さんは、私は市民に対して申しわけがないというので辞表を出しております。これなんかは台長さんのお話を聞くと、私一人で一週間も十日も帰らない、とてもやりきれないと言っておられる。こういう点について、あなた方の方ではどういうふうにお考えになっているか、お聞かせ願いたいと思います。
先ほど申しました四人の調査担当者の中の一人は特に大阪気象台長と個人的にも親しい人でありまして、しばしば気象台長の意見を聞いておるのでありますが、まずこの程度であるならば塵埃は相当防げることと思うというところに到達したと聞いております。 それから他の担当者の一人でありまする登石君という人がただいま奈良に参りまして、もっぱら調査を行なっておるのでございます。
○大和与一君 南方の主として洋上の話になると思うのですが、大谷大阪気象台長は、どうしても三十隻くらい観測船がなければだめだと、こういうお話です。